
一年で最も寒い季節もようやく過ぎ、日を追うごとに春に近づいていくのが感じられる頃。思わず心も弾み、とても重要なコミュニケーションツールである表情も、知らないうちに柔らかになっていたりするのもこの季節ならではのこと。
今年は、各地で大雪に関するニュースが伝えられた。新潟をはじめとする豪雪地帯では、町のあちらこちらに様々な工夫がされていることに感心する。昔の人の知恵の素晴らしさをあらためて感じるのも、このような時である。日本人は、豪雪に限らず、自然とのコミュニケーションを巧みに生かして上手に暮らしを豊かにしてきたように思う。
では、海の向こうのコミュニケーションはどうだろう。前回のバレンタインチョコレートの話の続きという訳でもないが、今回はコーヒー&お茶の歴史とコミュニケーションの思わぬ関係をお話したい。
現在、コーヒーや紅茶、ホットチョコレートなどは、世界中のどこでもすぐに飲むことのできる最もポピュラーな飲み物といえるだろう。コーヒーはそもそも、トルコのイスタンブールが発祥の地とされていて、1600年の中頃にヨーロッパ最初の「コーヒーハウス」がロンドンにオープンした。当初は、貴族や特権階級が、ステータスシンボルとしてコーヒーを好み、いわば贅沢文化の一つとして楽しんでいた。当時、コーヒーハウスには女性の出入りは許されず、文字通り男性だけの社交の場、コミュニケーションの場として栄えることとなった。男性専用などとは、今では、到底考えられないことだが、その当時のコーヒーハウスは、単なる飲み物を提供する場という枠を遥かに越え、重要なコミュニケーションの場であったようだ。コーヒーハウスは、その後驚くほどの速さで広まり、広く市民や商人にも愛用されるようになった。コーヒーやお茶を飲むだけでなく、新聞や雑誌を読んだり、お互いの情報交換や政治談義に花を咲かせる、まさにコミュニケーションに欠かせぬ存在として発展を続けた。コーヒーハウスの存在は、もちろんジャーナリズムにも多大な影響を与え、近代市民社会を形作る機能さえ持っていたといわれる。その役割は政治だけに止まらず、金融や保険の世界にも大きな影響を与えた。ロイズ保険会社の起源が、船舶情報を集めるために船主達が集まった「ロイズ・コーヒーハウス」であったことからも、コーヒーハウスがコミュニケーションの場として如何に重要であったかがわかる。
一方、男性に占領されていたコーヒーハウスに対抗するかのように、女性主導のコミュニケーションの場が登場。これが有名なサロン形式のお茶会である。1610年頃、オランダが日本と中国から茶葉を買い付けたのが始まりであるが、本格的にお茶がイギリス宮廷で愛飲されるきっかけは、1662年にイギリス国王チャールズ二世のもとに嫁いだポルトガルの王女キャサリンが大のお茶好きであったことによる。もちろん、お茶そのものを楽しむことも目的ではあったが、ここでもやはりサロンでのコミュニケーションが当時の上流階級の間でとても重要であったことは間違いない。皆が、この「お茶会」に呼ばれるために、日々コミュニケーション能力に磨きをかけ、良い評判をつくることに精を出したことは想像に難くない。さらに、主催者である女主人にも気に入られるための努力も怠りなくとなれば、現代にも通用する苦労だなあと思われる方も多いだろう。 ちなみに、当時はお茶といっても、現在のような紅茶ではなく、緑茶や烏龍茶であったことは、あまり知られていない。いわゆる紅茶が登場するのは、これより100年ほど後のことになる。
さらに、コーヒーや紅茶がヨーロッパにこれほど広まったかというと、それは意外な事実と関係している。コーヒーや紅茶が登場するまで、じつはアルコールが想像を遥かに超える勢いで日常的に飲まれていた。中世の人々は、食事の一部としてビールやワインを飲み、階級や年齢、性別に関係なく、飲み物といったらアルコールであるという生活が主流だったからだ。他に飲み物がないため(今でいうソフトドリンクが無かったため)子供も大量にビールを飲んでいたというのだから驚く。「水」はつねに身近にあった日本人にはさらに理解しがたい。もはや「水は買うもの」という意識が定着し始めた今では、少し理解できるかもしれないが。
文化の基盤がじつはコミュニケーションにあったという事実は、他にも沢山ある。これから少しづつご紹介できたら嬉しい。
芳賀 日登美
社会言語学修士、国際コミュニケーション修士。
2008、2009年筑波大学大学院システム情報工学研究科(MBA・MPPコース)非常勤講師。
リーダーシップ担当。
経済産業省「アジア消費トレンドマップ研究会」コアメンバー。